2008年04月28日

麻酔科医の仕事4 “病状悪化”を防ぐ

麻酔科医の仕事4

 午前8時45分、私はICU(集中治療室)を訪ねた。昨日乳がんの手術を終えた82歳の女性は、“痛みもなく、ぐっすり眠れました”と笑顔で迎えてくれた。

 私は、弾んだ足取りで麻酔科外来に向かった。今日は、私が担当するペインクリニック(痛みの診療部門)の診察日。この外来では、通常の方法ではコントロールの難しい痛みの治療を扱っている。

 帯状疱疹(たいじょうほうしん=ヘルペス)という病気がある。突然、胸、顔、腰下肢などの皮膚に発赤や小水疱が発生し、ときに激痛を伴う。この痛みは記憶として残り、神経痛として持続するのだ。この予防には、早期の神経ブロックが最も有効とされている。

 神経ブロックとは、痛みを伝える神経に局所麻酔薬などを注入し、脳内への痛み刺激をブロック(遮断)する治療法で、熟練を要する。がんの痛み、難治性上・下肢痛や腰痛などにも使われる。レントゲン透視下でおこなうこともある。

 通常は十数種のブロック法を用いるが、硬膜外ブロックは、特に頻用(ひんよう)されている。その他、鎮痛薬、抗うつ薬、漢方薬、レーザー、認知行動療法などを併用する。月・水・土曜の午前中が診療日だ。

 話はそれるが、日本の麻酔科医は6200人(2006年)ほどで、全医師数26万人強の2.4%だ。欧米では、5%内外だから、日本では麻酔科医が不足の状態にあり、労働環境も厳しいものがある。この結果、手術制限をおこなう施設が増えているのだ。

 日本の医師数は少なくとも数万人は不足しているという見方もある。低医療費政策が大きな要因である。

 ことし4月に施行された「75歳以上医療制度」も、ねらいは国の医療費負担を減らし、国民負担を増やすことにある。アメリカ型医療をめざす日本の医療は、いま、危機的状態にあるのだ。小異を捨て、国民の力を集中させ、“病状悪化”を防ぐことが求められている。(完)

(しんぶん赤旗 2008年4月19日 北海道のページ『エゾマツの小径』より)

全4話の新聞記事をpdfで見ることもできます(1.7MB)。
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2008年04月20日

麻酔科医の仕事3 緊張の一瞬

麻酔科医の仕事3緊張の一瞬

 82歳の女性の乳房切除術は、順調にすすんでいる。途中で、リンパ節の一部が病理科に送られ、転移の有無が報告される。幸い転移はなく、手術は予定どおり進行していく。
 
 この間も、血圧、心電図、酸素濃度、吸入麻酔薬濃度、体温、尿量などが連続的に測定される。最も気を使うのは、酸素不足への対応と麻酔深度の調節で、これは浅くても深すぎてもいけない。

 また、手術中は大量の体液が失われるので、輸液量の調節には気を使う。輸血の判断もおこなう。麻酔科医の手元には、十数種類の薬剤が置かれ、必要に応じて血管内に投与される。このように、手術成功のため全身の安全を維持するのが私たちの重要な役割である。

 きょうの手術には、外科医3人、看護師2人と私が参加しているが、国から支払われる医療費(診療報酬)は、驚くほど低いのが実態だ。 
       
 乳房切除手術は終了した。あと20分ほどで皮膚の縫い合わせも終わる。私は、手術後の痛みを和らげる目的で、強力な鎮痛薬を投与した。

 現在、手術直後の痛みに対しては、手術開始前あるいは手術終了直前に、硬膜外ブロックや麻薬性鎮痛薬の投与をおこなうのが一般的である。これは、40年前には考えられなかった方法であるが、今なお、手術後の痛みを完全にとることは難しい。

 私は航空機の着陸態勢を想像しながら、吸入麻酔薬の濃度を徐々に下げていく。自発呼吸が出てきた。呼びかけに目をあける。気管内に挿入したチューブを静かに抜く。緊張の一瞬だ。

 通常は手術終了後30分以内に、麻酔から覚めて病室へ帰ることになる。ただし、完全に覚めるには数時間を要する場合が多い。この女性は高齢ということもあり、ICUと呼ばれる集中治療室で一夜を過ごすことにした。

 ICUでは、手術後の患者、急性心筋梗塞(こうそく)、呼吸不全などの重症患者が集中的に治療を受ける。医師は24時間体制で配置されている。麻酔科医は、この管理、運営に中心的役割をはたしている。

(しんぶん赤旗 2008年4月19日 北海道のページ『エゾマツの小径』より)
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2008年04月13日

麻酔科医の仕事 その2 手術の始まり

麻酔科医の仕事2 手術の始まり

 2007年10月のある朝、勤医協中央病医院手術室に、82歳の小柄な老婦人が入室してきた。乳がんの手術が目的であった。

 この手術の麻酔管理を担当する私は、前日に麻酔科外来でお会いしていた。麻酔科医が担当する時は、前日に外来で全身を診察し、手術や麻酔が安全に行われることを確かめ、麻酔計画を立てる。そして麻酔法(大まかに全身麻酔と局所麻酔法がある)、麻酔に関する副作用などについて説明し、同意を得る。

 手術室の入り口で、私は老婦人と朝のあいさつを交わす。担当看護師が名前と手術名を確認する。手術台の老婦人の手の甲に、やや太めの注射針が刺され、点滴用の500ミリリットルの輸液ビンが接続される。種々の麻酔薬、鎮痛薬、血圧を調整する薬なども、このルートから血管内に直接注入される。麻酔管理には欠かせない第一の命綱である。

 私は婦人の胸に心電計を取り付け、呼吸や血圧の状態を確認する。“眠りに入ります”と声をかける。血管内に液体の静脈麻酔薬が注入され、酸素が投与される。この間、3分くらい。すでに意識はない。

 続いて吸入麻酔薬を吸わせ麻酔を深くして人工呼吸を開始する。次に筋肉を軟らかくする筋弛緩(きんしかん)薬を注入し、気管内に内径7.5ミリのチューブを挿入する(気管挿管)。この間およそ10分、意識も苦痛もない。

 この気管チューブは、麻酔器からの酸素や吸入麻酔薬(この日は、セボフルランと鎮痛作用の強い笑気ガスを用いた)を確実に肺内に送り、人工呼吸をおこなうための、第二の命綱である。次に尿量測定のカテーテルと、持続体温計を装着し、手術の準備は完了する。

 皮膚消毒を終えた執刀医と私は“よろしく”とあいさつを交わす。メスが皮膚に食い込み、鮮やかな血液がにじみ出る。血圧、心拍数、心電図なども安定している。麻酔の深さも適当のようである。ほっと安心するも、たたかいはこれからだ。午前10時30分、2時間30分予定の手術が始まり、時が刻まれていく。

(しんぶん赤旗 2008年4月12日 北海道のページ『エゾマツの小径』より)
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2008年04月12日

麻酔科医の仕事 その1 幕開け

麻酔科医の仕事 幕開け

 2008年4月1日、北海道勤医協入職42年目の朝を迎えました。現在、札幌市の勤医協中央病院に麻酔科医として勤務しています。今日は私の仕事を紹介します。

 まずは、162年前のアメリカへ−

 1846年10月、ボストンのマサチューセッツ総合病院の手術室では、舌癌(ぜつがん)の下を切断する手術が行われていました。「白熱した鉄がしゅるしゅると音をたてて、血の噴き出る舌の切り口に押し当てられた時、患者は嘔吐(おうと)してのけぞり、不運にもショック死したのだった。その女患者の断末魔の叫びは、彼女が永遠に口をつぐんでしまってからも、なお広い手術室の中にいつまでも響き渡っているようだった」(トールワイド著『外科の夜明け』)

 数日後の10月16日、同じ手術室の壇上のいすには、顎下腺(がっかせん)と舌の一部が腫れている若い結核患者が腰かけていた。突然、多数の医師や医学生などが見守るなか、30歳そこそこの男が息をはずませて廊下のドアを押し開いた。
 
 彼の左手には子どもの頭大の、ガラスの乳首を二つつけたガラスの玉が握られていた。この男、歯科医モートンは、ガラスの乳首を患者の口に差し込み、“深く息を吸って”と幾度も繰り返した。患者は眠ってしまい、手術は無痛のうちに終了したのだった。

 ガラスの球の中に入っていたのは硫黄性エーテルであった(爆発性があり、現在ではほとんど用いられることはない)。

 この近代麻酔の幕開けを告げる歴史的な日をさかのぼる1845年1月、同じ手術室で無痛下抜歯の公開手術が行われていた。笑気ガス(一酸化窒素)を吸わせるこの手術は、不幸にも失敗に終わり、歯科医のウェルズは33歳で自らの命を絶つことになる。

 一方、1804年10月13日、江戸後期の医師・華岡青洲は、全身麻酔下で60歳女性の左乳癌手術に成功した。世界初の快挙である。この時、用いられた麻酔薬は、麻沸散(まふつさん)という漢方薬であった。
 
 この時から二百年余、今は21世紀−

(しんぶん赤旗 2008年4月5日 北海道のページ『エゾマツの小径』より)

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