2010年11月18日

あきらめないでよかった!

看護現場からの発信
勤医協もみじ台内科診療所看護スタッフ

Aさん (60歳代・女性) は15年前に境界型糖尿病の診断を受け、現在はU型糖尿病とC型肝炎で通院中です。

治療開始当初のHbA1Cは6%台でしたが、08年ごろから血糖コントロール不良状態が続き09年には11%台まで悪化したため、インスリン注射の導入や教育入院をすすめました。しかし、そのときは拒否されて入院には至りませんでした。

今年に入ってAさんから入院を希望され、同居する精神疾患を抱えた家族と留守中の調整も行い、2月上旬から入院となりました。しかし、入院中に、精神状態が不安定な家族から頻繁に連絡が入り、その都度家族のもとへ外出を繰り返すなど落ち着いて治療に専念できず、早期退院となりました。

退院後も高血糖状態が続いたためインスリン注射の導入を検討しましたが、Aさんは家族の暴力から避難し連絡がつかない状態が続きました。2週間後にAさんと連絡がつき、まずは血糖自己測定から指導を開始しました。

導入時に担当を決めて、毎回同じ看護師が関わることにしました。しかし、話がかみ合わないことが多く、Aさんにはインスリン導入は難しいのではないかとも考えていました。導入当初はキャップを外せない、電極を逆に差し込んでしまうなど、一つの動作に集中できず、手技の習得がなかなかすすみませんでした。ご本人からも「私、できるかしら」 という言葉が聞かれました。

繰り返し係わる中で、家族や経済面での悩みが心に浮かび、Aさんが動作に集中できていないことがわかりました。そこで、Aさんの悩みに寄り添いじっくりと話を聞き、できたことを一つひとつ確認しあいすすめることで手技が身につき、自宅でも測定できるようになりました。

自己注射も初めは消毒や針のつけ忘れがありました。「インスリンは毎日打たなきゃダメなものかしら」 という疑問も出されましたが一つひとつ丁寧に説明して、自己注射ができるようになりました。Aさんのインスリン導入までには多くの困難があり、スタッフも 「本当に出来るのだろうか」 という思いを持ちながらの指導でした。しかし、Aさんの思いや悩みをじっくり聞き、がんばりを支えながら集中力ややる気を引き出していったことが、インスリン導入につながったといえます。現在、Aさんは自己注射を継続して定期的に通院されています。

さまざまに困難な条件を持つ患者さんの療養継続のために、あきらめず粘り強く寄り添っていくことの大切さを改めて実感しました。今後の看護活動にこの経験を生かしていきたいと思います。(もみじ台内科診療所看護師 久野かや子)

(勤医協新聞 2010年9月11日号より)
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2010年11月15日

家に帰るって嬉しいよ

看護現場からの発信
中央病院回復期リハビリ病棟看護スタッフ

 Aさん (70歳代・男性) は、当院急性期病棟にて胆石の治療を終え、09年3月にリハビリと在宅調整目的で回復期リハビリ病棟へ来られました。

 当初は、寝たきりで会話もできない状態が多く、夜になると興奮して動きが活発になり、壁や布団へ排尿する行動も見られました。

 同居のご家族は高齢の妻だけであり、在宅介護は難しく施設入所を考えていました。しかし、ご家族としては可能であれば在宅で生活させたい思いも抱いていました。

+ + +

 私たちは、Aさんが飲んでいる睡眠薬が夜間の興奮に関係している可能性から毎日の服用をやめ、トイレの認識をつけるため日中はトイレヘ誘導するとりくみを始めました。しばらくして、排泄に関して尿意を感じても我慢できず排尿していることが分かってきました。

 排泄がすぐできるように、病室内でポータブルトイレや尿器を使い始めました。しばらくすると、職員の介助を嫌がり、自分で尿器を使おうとする行動が出てきました。

 この時期からトイレに行こうとする行動も見られ、ご家族からは、認知症があっても排泄や睡眠の状況が少しでも安定すれば在宅で介護したいという思いも出されました。

+ + +

 その後、午後から夜にかけてトイレの回数が増えているのは、加齢によって循環機能が低下していることが原因だと分かり、食後は1時間横になってもらい水分が多く含まれるお粥からご飯食へ変えることで、夜間よりも日中のトイレ回数が多くなっていきました。

 もともと、夜間トイレの回数が多く、規則正しい生活リズムではなかったと分かり、短時間でもぐつすり眠り、疲れが取れていれば、一般的な生活リズムでなくても良いのではと考えました。

 平均2時間程度の睡眠時間でしたが、夜中でも起きていたいときはスタッフと一緒に過ごし、起きたい時は起きていてもらうことにしました。

+ + +

 退院が近づいたころ、Aさんは 「トイレにも間に合うようになって良かった。自分の家に帰れるって嬉しいよ」 とお話しするようになりました。ご自分で尿器やトイレを使って生活リズムを取り戻し、在宅生活を目指せる状況になり、自宅へ退院することができました。

 今回の関わりは、認知症が原因で起こる行動だけでなく、もとの生活習慣を調べて尊重しながら関わる大切さを学ぶことができた事例でした。(中央病院回復期リハビリ病棟 看護師 鹿野 邦子)

(勤医協新聞2010年8月11日号より)
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2010年05月20日

「最期まで家にいたい」の願いに応えて

看護現場からの発信
勤医協月寒診療所の看護スタッフ

月寒医院は、07年に在宅支援診療所として認可され、現在約60人の訪問診療を行っています。最初の1年に自宅で最期を迎えられたのは1人でした。08年が3人と少しずつ増えて、09年に亡くなられたのは6人でした。がん末期の患者さんや老衰による自然死の人たちです。

◇ ◇ ◇

Aさん (77歳・女性) は糖尿病、C型肝炎などで定期的に通院されていましたが、08年に肝臓がんを発病しました。6回にわたり入院治療を行いましたが、進行を止めることはできませんでした。がんの進行により、積極的な治療が困難となってからは、当院での看取りをふまえてのかかわりとなりました。Aさんの夫も08年より入院中で、同じ敷地内に住む娘さんが身の回りの世話をしています。週2,3回の点滴治療で肝不全の防止を行っていましたが、腰椎圧迫骨折を発症し、入院での安静治療後、訪問診療開始となりました。

「もう入院したくない」「家にずっといたい」とAさんから意思表示があり、娘さんは本人の希望をかなえてあげたいと話されました。訪問診療だけでなく、訪問看護の導入や介護保険でのベッドのレンタル、歩行器のレンタルなども行いました。肝性脳症の悪化や、排便コントロールがうまくいかず脱水になることもありましたが、臨時の訪問診療も頻回に行いながら在宅療養を支えていました。

病状が悪化するとともに、娘さんにかかる負担がしだいに大きくなり、孤軍奮闘の毎日となりました。

Aさんは緩和ケア病棟への入院も何度か口にしましたが、「やっぱり家に…」 と入院を望まず、娘さんも本人の意思を尊重する結果となりました。亡くなる1週間前には、毎日の往診、訪問看護、外来看護師の訪問を繰り返しながら、娘さんご夫婦に看取られて最期を迎えられました。

後日、ご自宅を訪問すると娘さんは、「入院も考えましたが、母が願っていたように自宅で最期を迎えることができ、私もやってあげられることをやれたので、良かったです。本当にたくさんお世話をかけました」と話してくれました。

在宅で最期を迎える家族の方がたは、「入院したほうが手厚い看護が受けられるのではないか」 「いろいろな症状が出たときに、自分たちではどうしていいのかわからない」 など不安を抱えています。すべての不安をとりはらうことはできませんが、患者さんや家族にとって、どうすることが良いのか、私たちにできることをお知らせしながら、患者さんや家族の願いに応えられるように今後も対応していきたいと思います。(勤医協 月寒医院 看護師 青柳 真弓)

(勤医協新聞2010年5月11日号より)
ラベル:自宅で最期
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2010年05月04日

認知症の独居高齢者をともに支えて

看護現場からの発信
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Aさん(79歳・男性)は、2008年10月、上砂川町外の医院より地域包括支援センター(以下包括)を通して当診療所に紹介された患者さんです。病名は糖尿病、高血圧症、認知症です。

前医では、処方されたインスリンを5日間で使いきるなど、低血糖による昏睡で救急搬送をくり返し、内服治療に変更となりました。認知症もあり車の運転が危険なことから、町内の当診療所へ通院することになりました。

09年8月頃から、しだいに内服薬の管理もできなくなり1日に朝の薬を4〜5回服用してしまうことをくり返すようになるなど、認知症の進行が懸念されました。生活状況を確認するため何度か訪問をするうちに、わかってきたことがありました。Aさんは持家にひとり暮らしです。子どもたちとは疎遠で、友人や近所の方に相談ごとを聞いてもらったり、食事の差し入れを受けていました。多額の借金があり、介護保険料も滞納していたためペナルティを課せられ、介護サービスは3割負担でないと利用できない状況であることもわかりました。

冬を迎える季節となり、早急にAさんの生活を立て直す必要がありました。経済的な問題もあることから、包括と合同のカンファレンスを行うなど、共に支援していくことになりました。介護申請を行い、11月には町内のショートステイに入所することができました。

私たちが考えたAさんにとっての最良の選択は、ショートステイに春まで入所してもらい、その後は、当診療所の2階部分に5月から稼動する有料老人ホームヘの入所をめざすというものでした。しかし、Aさんは無断外出をしてしまい、継続入所を断られ、今後の生活の場を再度探すことになりました。

Aさんは自宅へ戻ることは希望せず、入居施設が見つからない場合は、精神科に入院する意向でした。包括を中心に、可能な限りグループホームやその他の介護施設を探しましたが受け入れ先がなく、12月に町外の精神科へ長期入院となりました。

Aさんの事例は、行政との連携で困難な局面を乗り切ることができましたが、私たちが当初考えた「有料老人ホームヘの入所」 とはなりませんでした。しかし、様ざまな経過のなかで、Aさんの思いに寄り添って援助していけたのではないかと思っています。民医連の看護を実践していくには、患者さんに寄り添い、ともに闘病や療養、生活を援助するために、足を使い訪問することが基本にあると思います。これからも地域の方の健康と生活を守れるよう、努めていきたいと思います。(上砂川診療所 看護師 吉成 ルミ)

(勤医協新聞2010年4月11日号より)
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2010年05月01日

充実した「療養指導」をめざすとりくみ

看護現場からの発信
勤医協ぽぷらクリニック

ぽぷらクリニックには現在、年間約1000名の糖尿病患者さんが通院しています。これまで糖尿病療養指導を行ってきましたが、一度きりの指導に終わってしまい、継続的なかかわりができていませんでした。

2007年6月に体制の見直しを行い、予約枠を作成し療養担当者を決めました。はじめは数名の予約でスタートしましたが、一般外来の血糖コントロール状態の悪い患者さんや初めて糖尿病と診断された患者さん、今までかかわってきて気になる患者さんを予約して、少しずつ増やし続け、継続したかかわりを持つことができてきました。

外来の看護活動方針の中にも、プライマリー・患者参加型看護計画の実践を位置づけ、一人一事例を目標にとりくみ始めました。糖尿病外来時にあわせた予約枠の活用や、継続してかかわれるように書式の改訂など業務改善も行いました。あわせて看護師の学習会や、院内外の学習会へ参加し、療養指導をどのように行っていくのか、その都度話し合いながら進めてきました。

現在は、約100名の患者さんへ継続療養指導を行っています。方法は患者さんによってさまざまですが、来院のたびに声かけをして、療養を応援してきました。その結果、約9割の患者さんが、HbA1Cが改善するか、あるいは悪化しないで療養が継続されています。その中から1つの事例を紹介します。

◆  ◆  ◆
(Bさん40女性 T型糖尿病)

Bさんは、インスリン治療を続ける中、低血糖にて中央病院への時間外受診が続き、療養への不安を強く持っていました。担当看護師を決め、来院時には必ず面談を持ち、日常の思いや療養の不安、頑張っていることなどを聞き、かかわってきました。自宅での様子、低血糖対応などを確認するため自宅を訪問しました。高校生の娘さんの支援が大きいことを訪問して初めて知ることができました。Bさんは、「自分の担当の看護師さんがいることは、とても嬉しいし安心できる」と話してくれました。

継続してかかわっていくことで、「自分の看護師さん」と思ってもらえる信頼関係ができ、「一人で治療しているんじゃない」という思いが患者さんを支えていると確認できました。

個別の生活スタイルに合った目標をお互いに確認しあうことで、患者さんが不安を素直に話せたり、治療に積極的にとりくめるようになります。それが患者さんが正しい知識を持ち、安心して療養を続ける力になっていると考えています。

今後も療養指導について学習を深め、充実したものを目指したいと思います。(北区ぽぷらクリニック看護師 青山夕香里)

(勤医協新聞2010年3月11日号より)
ラベル:療養指導
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2010年03月09日

「普段どおり自然に」終末期のAさんと

看護現場からの発信
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Aさん(80代・女性)は、町営住宅でご主人と2人暮らしでした。09年3月、除雪をしたら左腕が痛くなったと来院し、左上腕骨骨折と診断されました。

Aさんは、B病院で07年に大腸がんと診断され、肺転移・癌性疼痛もあり麻薬内服中で、告知もされていました。当院受診後、B病院整形を受診し、骨折は装具固定で経過をみることとなりました。当診療所では、看護師が介護サービスの紹介をして、4月より訪問看護ステーションの利用開始となりました。

Aさんは、夫と家で暮らしたいとの思いがありました。B病院へは通院困難なこともあり、当診で往診管理とし、今後は最大限、家族と協力しながら在宅で療養しようと職員とご家族で意思統一しました。

5月26日疼痛が増強、意識混濁・低酸素状態となり、在宅酸素を導入し連日点滴管理となりました。疼痛によりご家族でのおむつ交換が困難なため留置カテーテルとし、連日のステーションによる訪問者護で午前中点滴と保清など、午後は診療所看護師が点滴終了時におむつ点検などを行いつつ、適宜往診としました。

当初ご家族は、がんの終末期は病院でとの意向でした。しかし何度も診療所、訪問看護ステーション、ご家族で今後について相談するうちに、在宅での看取りを決断しました。

麻薬の調整が行われ疼痛コントロールがされ、意識清明となり酸素吸入も中止となりました。夫と近所の息子さん夫婦が交代で昼夜介護しました。お嫁さんは疾患を持ちながらも献身的に介護され、元気なころはあまり行き来していなかった息子さんもそばで見守ってくれるなど、いい家族関係ができてきました。Aさんも家でずっと暮らせる安心感のためか状態も安定し、好きなものを少しずつ口にし、会いたい方とお話しもできました。

7月中旬、ご家族と面談をもち、医師から 「たとえみなが寝ている夜間に旅立たれても、ご家族と一緒にいられAさんは幸せだと思います。普段どおり自然にかかわりましょう」と話されました。お嫁さんは「介護しながら最後の時の準備を少しずつできました。亡くなった後のお義父さんのことも考えられるようになりました」と落ち着いて話されました。

7月20日深夜、ご家族に見守られながらの旅立ちでした。ご家族は、痛みがなく幸せな最期だったと満足されていました。

私たちは終末期に出会い、短いかかわりでしたが、最後まで気丈なAさんらしい生き方に感銘を受けました。また、ご家族と寄り添う中で、自然な形で、まさに「畳の上で…」最期を迎えることの意味を実感しました。これからも、「最後は長年住み慣れた家でこの地域で」との願いに応えていきたいと思います。

(黒松内診療所 看護師 三本木美智恵)

(北海道民医連新聞 2010年2月25日号より)
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2010年02月01日

「電話してくれるのはこの病院だけだよ」

看護現場からの発信

西区病院看護スタッフ

A氏(67歳・男性)は07年5月、他院で胃癌と診断され手術をすすめられていました。 尋常性乾癬でプレドニンを内服していましたが、薬の減量がなかなか進まず、その後治療を中断していました。09年6月に全身倦怠感と右季肋部痛の症状があり、同じ病院に受診したときには、肝転移の末期状態でした。妻のかかりつけであった西区病院に通院希望され、7月に来院しました。

受診後に、2年目め看護師より、気になる患者さんがいるとのことでカンファレンスにかかり、看護歴35年目の看護師がプライマリーナースとなり、参加型看護計画を提示することになりました。

当初は参加型看護計画について、「心配してくれるのはうれしいが、あまりわずらわしいのは好きじゃない」と拒否反応もみられました。病気についても「あとは死ぬだけだ。自分のことが自分でできなくなったり、立てなくなったら入院を考えている。妻には迷惑をかけたくない」と語り、奥さんも、「本人が決めていることなので、したいようにさせてやりたい」と話していました。しだいに痛みも増し、麻薬を増量する中、入院をすすめられても「まだ、自宅で頑張りたい」と訪問看護や往診も拒否されました。私たちは毎日電話で状況を確認し、あきらめずにかかわりました。

A氏から「痛みが楽になったよ。これから山歩きでもしたい気分だ。気にかけてくれてとてもうれしいよ。電話してくれるのはこの病院だけだよ」と話してくれました。しかしその4日後には立ち上がりも困難、意識もうろうとなりました。さらに4日後、家族の説得で入院を決めた翌日の朝、自宅で永眠されました。

その後外来で、初めての家族訪問に行きました。奥さんからこれまでのA氏の生活や最後まで気丈にがんばった様子をうかがいました。予後も厳しいといわれた後は、疎遠になっていた息子さんとの時間をもつことができ喜んでいたことや、最後まで自分でトイレに行くことにこだわり、トイレの外で力尽きたことを知りました。その中でA氏が最後に奥さんに送った「二人の楽しい時間をたくさん作ってくれて感謝している」という愛情のこもったメールを見せていただき、みんなで涙しました。奥さんは「夫は西区病院に来てよかったと言っていました。だから私の言ったとおりでしょと話したの」と教えてくれました。

終末期の患者・家族の揺れ動く思いに寄り添うということは、私たちのあきらめずにかかわる看護実践なのだと確信しました。また、参加型看護計画の実践は外来でも、患者・家族が安心して思いを伝える信頼関係を築くことにつながると、確信を深めることができました。(西医病院 看護師 遠藤 絹子)

(勤医協新聞2010年1月11日号より)
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2009年12月23日

住み慣れた地域で暮らすために−90歳代夫婦に寄り添って

看護現場からの発信厚賀診療所スタッフ

厚賀診療所がある日高周辺は、人口減少と高齢化に悩む地域です。診療所は60年にわたり住民の健康と医療を守ってきました。「この地域でくらしたい」と願う90歳代の夫婦の事例を紹介します。

Tさん夫婦は、夫が96歳で要介護2、主な病歴は高血圧症。妻は94歳で要介護1、主な病歴は両膝変形性膝関節症です。厚賀診療所から車で30分ほど離れた山里に二人で住んでいます。

月1回の定期受診は、診療所からの送迎バスを利用しています。妻はデイサービスを月2回利用しています。毎日、妻は食事の支度や掃除などの家事、夫は自宅用の畑作りと薪拾いなどをしています。それ以外の外出は、ほとんどありません。

たまに遠方に住む息子夫婦が、買い物の支援を行ってくれています。日常必需品や食料品は月2回、30分ほど離れた厚賀町にある農協ストアヘ電話注文して届けてもらっています。

北海道は現在、中心都市である札幌への人口一極集中によって、地方が疲弊している状態です。Tさん夫婦は過疎地域という条件の中で、何故これまで2人で生活し続けられたのでしょうか?

「2人で居るうちは、できるだけ子どもたちには迷惑をかけたくない」という思いと、送迎などの支援により、慢性疾患を継続して管理できていることで、大きな病気を未然に防いでこられたことにあると思います。

加えて地域性として北海道のなかでも日高地方は気温が氷点下でも、雪が少なく比較的住みやすいこともあります。

しかし、自宅前の小高い丘を越えなければ郵便局にも行けません。歳を重ねるごとに、生活面での不自由が増えてきました。

公共の足であるバスは、自宅から離れた場所にしか停留所が無く、利用できません。現在、私たちは、小型バスで各住民宅の玄関まで走る地域密着型で住民目線の福祉バスのようなものを検討するよう、自治体に働きかけています。

Tさん夫婦は、口ぐせのように「厚賀診療所は来年もまだあるよね」と私たちに言います。診療所を信頼し、無くなっては大変だとの思いから出る言葉に応えていきたいです。

住み慣れた地域で暮らし続けてもらうため、私たちにできることを考え、支援し続けたいと思います。(厚賀診療所 看護師 山下明美)

(勤医協新聞2009年12月11日号より)
ラベル:高齢者夫婦
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2009年12月04日

認知症・胃がん末期を支えた家族から学んだこと

看護現場からの発信
勤医協苫小牧病院外来スタッフ

苫小牧病院では、月約60件の往診を行っています。そのほとんどが80歳以上の高齢者で、自宅で最期を迎える患者さんも少なくありません。私たちは昨年、往診患者でありアルツハイマー型認知症で胃がん末期と宣告され、自宅で最期を迎える事を選択した家族とのかかわりを紹介します。

M氏(60歳代・男性) の認知症は、5歳児と同じレベルでした。とにかく歩くことに執着し、何十キロも早足で歩き、時には帰宅できなくなり警察に保護されることもありました。目離しのできないM氏を妻は、「認知症にしてもがんにしても、なぜもっと早く気付いてあげられなかったのだろう」 と自分を責め続けていました。デイサービスの勧めに対して 「デイサービスに追いやって自分が楽をしようとしていると思うのでは」 と悩み、不安でこっそり見に行き、みんなの輪の中で楽しんでいるM氏の姿を見てやっと安心していました。

M氏の予後が1年と告知されたとき妻は、「好きなことをさせてあげたい」 と、歌うことが好きだったので近所のカラオケへ一緒に行くなど、M氏との残された時間を悩みながらも楽しく過ごせるようにしていました。

終末期、M氏の意識が薄れる中「何もしてやれない、見ているのが辛い」「病院だったら何か違う事ができるかなと思って」 と入院を一時希望しましたが、自宅での最期を選択し妻と娘2人は、M氏のかたわらを片時も離れず最期の夜を過ごしました。

後日、ご自宅を訪問すると妻は、「夫の兄弟から、家で最期まで看てくれてありがとうと言われた」「やっと夫の写真を落ち着いて見られる様になった。自分でも本当に良かったと思っている」 と、後悔の言葉は一切聞かれませんでした。

私たちはM氏の家族を通して、がんの告知・治療・療養生活の全過程で様ざまな感情を抱き、常に揺れ動きながら患者に代わって選択を迫られ決断してゆく家族の想いを理解できました。同時に 「身近な存在として医療者がいる」重要さも学びました。

私たちは 「今家族に起こっている問題は何か」「それによる家族の想い」 を聞き取る中で、家族間のこれまでの生活の歴史、相互のつながりを知り、家族の苦悩・迷いを認識し、家族それぞれの代弁者として、家族間をサポートすることの重要性を学ぶことができました。これからも、看護師集団として成長していきたいと思っています。 (勤医協苫小牧病院看護師 大西 敦子)

 (勤医協新聞2009年11月11日号より)
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2009年10月11日

寝たきりの息子を介護する年老いた両親に寄り添って

看護現場からの発信
勤医協札幌みない診療所 スタッフ

Aさん(49歳・男性)は、開院当初から訪問診察と訪問看護、後にひまわり薬局による訪問薬剤指導を受けています。脳性まひ、てんかんなどの病気があり、寝たきりで言葉による意思の疎通はできません。カゼや呑気症(どんきしょう)など小さな症状でも病状が悪くなり、投薬でのコントロールが重要になります。けいれん大発作はありませんが、小さな発作はいつも起こしています。

昨年秋より、一日おきに排泄介助のヘルパーが来ています。また、区役所の担当者が定期的に訪問し、介護などの相談にのってくれます。日常の援助は、ご近所にも心強い人がいます。医療施設での勤務経験のある人で、冠婚葬祭などがある時には、いつも身の回りの世話をしてくれます。

日常のAさんの様子は、両親とくに母親が一番よく把握しています。両親とヘルパーによる入浴介護、移動援助など、ともに80歳となる両親の負担は大きく、最近はデイサービスにショートステイの利用を加えて対応しています。

しかしショートステイの話をすると、Aさんは体にかけた私たちの手を払いのけ、「嫌だ」 とはっきり表現します。ショート利用中、母親も 「私も眠れなかったけど、息子も眠れなかったんじゃないか」 と気遣います。

住み慣れた自分の家で過ごしたいという本人と家族の強い想いが伝わってきます。そして、母親の不安な気持ちを取り除くため、いつも同じ看護師がかかわり、語りかけるように接してきました。

今後は施設への入所も必要となる時期がくると思います。

過去2回のショートステイで、カゼをひいたり肺炎になったりと不安定な病態のため、施設への入所を両親が決断できない状態です。

これからも、Aさんの身体状況の把握と両親の健康管理をしながら、区の担当者、勤医協の病院や介護施設などと連携をとり、「住み慣れた場所で暮らしたい」 というAさんや家族の希望に応えていくために、みんなと力をあわせてとりくんでいきたいと思います。

(札幌みなみ診療所看護師 田中恵子)

勤医協新聞2009年9月11日号より
ラベル:訪問看護
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2009年08月14日

外来でも患者さんに寄り添って

看護現場からの発信
勤医協伏古10条クリニック看護スタッフ

Aさん (50代・男性) は検診で胃がんが見つかった時には、すでに肝臓に転移があり、手術もできない状態でした。放射線療法や化学療法が開始され、この3年間は入退院を繰り返しながら治療を続けてきました。

2007年Aさんが外来で化学療法を始めた当初は、表情も暗く、質問にも 「変わりない」 と答えるだけで、自分から語ることは少ない患者さんでした。カンファレンスでは化学療法の副作用の観察と苦痛症状の緩和、来院時には話をよく聞くことを確認し、チームで意識的にかかわってきました。やがて、これまで視線もほとんど合わせてくれなかったAさんが、化学療法の辛さや病気の見通しがもてずに気分が落ち込んでしまうことなどを少しずつ話してくれるようになってきました。Aさんが一番心を開いていた看護師をプライマリーナースに決め、中心的にかかわるようにしました。患者参加型看護計画にも取り組み 「苦痛なく外来での化学療法が継続できる」を目標に、具体的な計画を開示し、評価もともに行っていきました。Aさんは 「自分のためにここまで考えてくれて、とても嬉しい」と、表情や言動にも変化が現れ、治療にも前向きになっていきました。

来院時には、プライマリートースが副作用症状を細かく観察し、医師との連携で内服薬の調整を行うなど苦痛緩和を図り、表情が暗い時には時期を逃がさず話を聞くようにしました。また経済的負担軽減のために事務と連携し、障害年金の申請を行いました。

Aさんはしだいに病気のことだけではなく、30代で会社を興し、家族のために必死に働いてきたこと、娘の影響で50歳になってからバイクの免許を取得しツーリングが楽しみだったことなどを語り、病気のためにバイクを手放した今もヘルメットとライダースーツだけは大切にとってあると、ライダー姿の写真を照れながら見せてくれました。面談の中でAさんは、プライマリーナースの存在が安心感につながったこと、外来看護師がいつも温かく声をかけてくれたことが何より自分の自然治癒力になっていると話してくれました。

10条クリニックでは、この2年間で76例の患者さんにプライマリーナースを決め、患者参加型看護計画にも取り組んできました。在院日数の短縮にともない、以前ならまだ入院していたような重症患者さんや、仕事や生活の厳しさから治療継続に困難をきたしている患者さんも増えており、外来看護師に求められる役割はますます大きくなっています。患者さんとかかわる時間を十分に持つことのできない外来ですが、生活している人として患者さんを理解しその人生に寄り添いながら、少しでも安心して療養していただけるようとりくんでいきたいと思います。(伏古10条クリニック 看護師 宮田美和子)

(勤医協新聞2009年8月11日号より)
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2009年08月03日

104歳の誕生日を自宅で

看護現場からの発信
看護現場からの発信 104歳の誕生日を自宅で

病棟で一番の長寿だったAさん (女性・104歳)は、2003年に腰椎圧迫骨折後のリハビリテーション目的で、私たちの病棟に入院しました。いつも笑顔で「ありがとう」と、手を合わせ感謝の言葉を口にしてくれます。喘息発作や肺炎を繰り返すため外出や外泊がほとんどできず、長期の入院となっていたAさんは、徐々に全身状態が悪化し、食事も十分にとれない状況になっていました。

私たちは、Aさんが今後、どのように過ごしていくのが良いかを、家族と何度も話し合いました。「苦痛を与えたくない」という家族の希望を尊重し、積極的な治療は行わず、自然に経過を見ていくことにしました。栄養は、調子の良い時に口にする少しの食事と、水分を補う程度の点滴です。時々は、目を開けて話すこともありましたが、徐々に寝て過ごす時間が多くなりました。

Aさんの様子を見ているうちに、家族は 「ひと口でもいいから、口から食べてほしい」「覚悟はあるけど、あきらめたくない」と涙ながらに話されました。「2月11日の104歳の誕生日を迎えさせてあげたい」という家族の気持ちを知り、病棟で 「長寿を祝う会」を開きました。さらにその想いに応えようと、「自宅での誕生日」という目標を家族と共有。患者参加型看護計画にとりくみ、外出の準備を進めました。同時に、誕生日を安心して過ごすための移動介助や、オムツ交換の方法などを、家族に指導しました。誕生日前日となった外出日に、プライマリーの新人看護師から 「風邪をひかないでね」とピンクの手作りマフラーがプレゼントされ、Aさんと家族、スタッフみんなで記念撮影をしました。普段、寝て過ごすことの多いAさんですが、スッキリと目を開けて笑顔で出発しました。

自宅では、赤飯やケーキでお祝いをしたそうです。Aさんは、お話をしたり愛猫に触れたりして過ごし、家族は「笑顔が見られたし、家に帰ることができてよかった。また外出させたいと思う」と話されました。

今年の3月、Aさんは静かに眠るように永眠されました。私たちは、Aさんの喜ぶ顔が見られたことと、家族の想いに応えて自宅への外出を実現できたことに、よろこびと看護のやりがいを感じています。今、病棟では、プライマリー看護師を中心に、患者参加型看護計画の取り組みを進めています。これからも、患者さん・家族に寄り添い、その人らしい生き方を援助していきたいと思います。

 勤医協西区病院2病棟 看護師  黒澤理穂

(勤医協新聞 2009年7月11日号より)
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2009年03月16日

患者さんの思いに寄り添い、ともに考え、歩む看護の実践

看護現場からの発信
勤医協神威診療所スタッフ

Tさん(55歳女性)は、高血圧症と20年来の糖尿病の患者さんです。夫は炭鉱夫でしたが閉山後まもなくから病気療養となり、Tさんは家計を助けるため介護施設で変則勤務のパートとして働いています。糖尿病のコントロールが徐々に悪化し、内服治療が限界と思われた昨年7月、医師よりインシュリンによる治療方針が説明され、一旦は了承されました。しかし、次の受診時に「勤務時間が1週間ごとに変わるため、インシュリンを打つのは難しい。何とかインシュリンを使わないでよくなりたい」 と思いを話されました。私たちはTさんの思いを実現しようと、一緒に目標を持ち患者参加型看護計画を実践していくことを確認しあいました。

病気の現状と仕事、食生活、運動などを把握しながら、間食はせずに1日の摂取カロリーを守ること、運動の習慣をつけて体重を減らすことなどTさんと今できる目標を一緒に定めました。目標の達成状況は一進一退を繰り返しました。不規則な労働からくる食生活のみだれで、間食がなかなかやめられないことについては看護集団も頭を悩ませました。

体重コントロールについても、趣味で行っていたバレーボールを主体に散歩を位置づけましたが、冬場に入って外出の機会も少なくなり、思うようにはすすみませんでした。

糖尿病との付き合いが長いTさんは、病気や療養生活に対する理解もあります。療養指導にあたる外来看護師全員が、患者さんの努力と苦悩、思いに心寄せながら、「患者さんのできることをもっと引き出していこう」 「本人がまた頑張ってみようと思える工夫をしていこう」 と心がけてきました。

年末にかけて食生活が大きく崩れたときに、「もうダメ」 というTさんに何とか食生活を立て直そうと励まし一緒に考えあいました。目標を『体重を減らす』から 『これ以上体重が増えないように』 と修正し、Tさんからは 「家に昔使っていた運動器具があるので、それで腹筋運動を少しずつ行いたい」との積極的な提案がなされました。

試行錯誤しながらもTさんの事例を通して私たちは、患者さんの思いにしっかりと寄り添い、頑張る力を引き出していく看護実践に確信をもち、患者さんとともに歩む看護をこれからも続けていきたいと思います。

現在、Tさんは、糖尿病の内服治療を継続し、ヘモグロビンA1Cは昨年7月の8.0から今年1月時点では6.2まで改善されています。

勤医協神威診療所 看護師・諏訪 京子

(勤医協新聞2009年3月11日号より)
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2009年03月02日

かなえられた!帰りたい希望 苫小牧病院・3病棟

看護現場からの発信
看護現場からの発信 苫小牧病院3病棟スタッフのみなさん

 苫小牧病院3病棟は38床の回復期リハビリ病棟です。最近は認知症や胃癌の造設などにより、自宅での介護が困難となるケースが多く、在宅復帰率も60%〜70%と決して高い状況ではありません。今回、介護力不足により自宅への退院が困難と思われましたが、本人と家族が希望する自宅への退院が実現した事例を紹介します。

◇ ◇

 Aさん(80代・女性)は、脳梗塞で左片麻痺。座位バランスが不安定で、起立・歩行も困難なため、スタッフ2人での介助が必要な状態でした。十数年前から尿閉により自己導尿をしていましたが、急性腎不全で他院入院中にバルンカテーテルを挿入。知的障害、右片麻痺のある次男と2人暮らしで、近所に住む長男が主介助者でした。当初は、施設入所の方針でしたが、Aさんは 「障害のある次男をおいたまま自分だけ施設に入ることは出来ない」 と自宅での生活を強く望んでいました。長男は 「母が自宅に帰りたいのなら自分が世話をする」と自宅退院に方針を変更しました。

 その後、私たちは話し合いの場を作り、自宅退院に向けてプランを立てていきました。長男に都合が付く限り来院してもらい、移乗介助、きざみとろみ食の調理指導を行いました。排便処理を心配するAさんの気持ちを聞き、トイレで排便習慣がつくよう毎日同じ時間にトイレに誘導するようにチームでとりくみ、ほぼ毎日自然排便できるようになりました。毎朝病棟で行っている立ち上がり体操にも積極的に参加し、10回の目標から始めて、少しずつ筋力も向上しました。

 最終的に在宅生活ができるかどうかを判断するために、試験外泊をすることにしました。経済的なことを考慮し当院通所リハビリから電動ベットを借り、病棟からポータブルトイレと車椅子を貸し出し、当院委託の運転手さんに自宅まで搬送してもらいました。なんとか退院後の生活がイメージでき、サービスを最終調整し退院となりました。

 自宅に帰りたい希望を持ちながら、家庭内の諸事情や、経済的な理由、介護力の不足などにより、在宅での生活を断念せざるを得ない方も少なくありません。在宅での生活に向け1つひとつの問題点を患者さんと家族と共に解決して、安心して在宅を目指していけるよう援助していく大切さを知るケースとなりました。今後も患者さんや家族の気持ちに応えられるよう、一人ひとりが笑顔で退院の日を迎えられるようにチームでとりくんでいきたいと思います。(看護師・斉藤小百合)

(勤医協新聞2009年2月11日号より)
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2009年02月08日

慢患管理とがんの早期発見を重視して 小樽診療所

看護現場からの発信
看護現場からの発信 小樽診療所

最近の小樽は、史跡観光ツアーもできるなど、「蟹工船」にはじまる小林多喜二ブームで注目されています。そもそも小樽は労働者の街として歴史があり、小樽診療所も働く人々の「自分たちの病院を!」の要求から建設され、労働者・地域住民の方々に支えられてきた診療所です。

小樽診療所は、開設当初から 「慢性疾患管理」 に力を入れてきました。最近は、さらに 「がんの早期発見」 の2本柱で日々とりくんでいます。

* *

3 年前から、血圧の日内変動に注目して患者さんに、「自己血圧測定」を勧めています。院所で独自に作成した記録用紙を渡し、自宅で早朝と夕方に血圧を測定記録してもらいます。受診時の血圧が正常範囲内でも、実は早朝血圧が非常に高い 「仮面高血圧症」の発見や高血圧症患者さんの服薬指導や薬の調整に役立っています。

自己血圧測定を実践していく中で、患者さん自ら「数値を良くしたい」と、食事・運動など生活改善に努め、患者参加型の日々の健康管理につながってきています。また、コントロール不良は、病状変化だけではなく、仕事の忙しさや精神的ストレス、薬の間引き、飲み忘れなどの生活変化からくることがあります。私たちは、患者さんの実態に合わせた療養指導や生活相談をと心がけています。

* *

小樽市は、全道の主要都市の中でも 「がんによる死亡率」が高く特に大腸がんは男性で1位、女性で2位と非常に高いことが分かりました。そこで2007年から、がんの早期発見・早期治療をめざし、大腸がんや胃がん、前立腺がんのスクリーニングを強化してきました。がん検診をすすめるため、外来待合いに手作りポスターを掲示し、「健康相談会」や「ふれあい喫茶」での講演など啓蒙活動にも力を入れてきました。2007年度は25人の患者さんにがんが見つかり、その多くが早期治療につながっています。しかし、進行がんや末期状態になってから発見される患者さんは、まだまだ無くなりません。今後も「全身管理の視点」で「慢性疾患管理」 と「がんの早期発見」の取り組みを強めて行きたいと思います。

また、小樽市のがん検診制度の充実や、大腸癌検診を友の会と連携してすすめていくことなどにも力を入れていきたいと思います。(看護師・兼平春美)

(勤医協新聞 2009年1月11日号より)
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2008年11月29日

認知症の方と家族を支えて

看護現場からの発信
札病内科外来で患者さんの話を聞く看護師
勤医協新聞2008年11月11日号より。

 札幌病院第一外来は、内科・内視鏡・放射線などの検査部門も担当しています。無料・低額診療のワッペンは、外来の職員全員が着けています。

 今年度は、特に不況の影響からかホームレスの方や生活保護申請のための受診が相次ぎました。所持金がなく10日前に食べたお菓子のかけらが最後の食事で、餓死寸前で発見され搬送された事例もありました。このように生活に困難を抱える患者さん、独居の高齢者、アルコール依存症の患者さんも少なくありません。

◇ ◇
 第1・第3土曜日は朝8時から外来が賑やかになります。「高齢者いきいき外来」 の日です。

 Aさん (80代女性)は今年2月に、「体がだるく一日中寝てばかりいる。物忘れが激しくなった」と受診し、軽度のアルツハイマー型認知症と診断されました。包括支援センターを通じて調整し、3月末から介護サービスの利用を開始しました。

 4月下旬には、一日中大声で叫び続けるなど認知症の周辺症状が強く現れ、外来受診となりました。Aさんは入院を拒否し、デイサービスを数回利用した事を 「私を物のようにあっちこっちにやって」 と不満気に語り、疲れ果てた娘さんは話していてもすぐ涙が流れる状況でした。そこで、私たちは娘さんの辛さを共有し、在宅でサービスを導入しながら生活していくことがAさんにとって一・番良い方法と考えました。医師よりデイサービスの継続をAさんに勧めてもらうよう事前に打ち合わせ、翌日の受診時には、娘さんに対して、Aさんの見ている前で 「きちんとデイサービスに行かせること、今のままにしていたら寝たきりになる」 と強い口調で話してもらいました。

 5月の連休明けに受診したAさんは、「昨年植えたチューリップを見に行きたい。健康が一番ですね」と語り、「母の口からそんな言葉が聞けるなんて」 と娘さんはうれし涙を流して喜んでいました。娘さんには 「認知症の理解と介護」の資料を差し上げました。身近な家族であるほど親の認知症が受け入れられず、周辺症状に振り回されてしまいます。これは、誰もが経験するかもしれない事例です。

 「いきいき外来」では、認知症にアロマテラピーが有効とのことで、レモングラスの香を時々焚くなどの工夫もしています。

 今後も、外来に来ている時の患者さんだけではなく、在宅でも困ったことがないか、心配なことがないかなど深く見ようと心がけていきたいと思います。 (看護師・樋浦輝子)
ラベル:認知症
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2008年10月26日

25年間の信頼にこたえて 室蘭診療所

看護現場からの発信
看護現場からの発信 室蘭診療所
勤医協新聞2007年10月11日号より。1.76MB(03:51)

 1952年の開院から56年が経ちました。この間、医療改悪が押し進められる中、2003年に病床を閉鎖、訪問看護、訪問介護、デイサービス、居宅介護支援事業所を開設し、介護分野への大きな展開を果たしました。2006年2月には建物を新築移転し、輪西地区のまちづくり、復興に一役買っています。

 25年間通院されているTさんは現在70歳。青森で生まれ20歳の時、室蘭に移り住みました。45歳の時、リウマチで他院に入院していましたが思わしくなく、当診で看護師をしていた姪の勧めで当診を受診。治療方法の違いを知り 「自分に合った治療をしてくれる。安心できる治療をしてくれる」 と当診にかかることになりました。

 65歳で定年になり、生活や趣味のカラオケのためにアルバイトをしていましたが、3カ月後、脳梗塞でA総合病院に入院。意識が戻らず 「もう助からないのでは」 とご家族も心配されましたが、数日後に目を開き少しずつ会話もできるまでに回復しました。

 Tさんは 「絶対、家に帰る」という強い思いでB病院ヘリハビリ目的で転院。退院後を見越して住宅はバリアフリーに改装しました。Tさん宅は道営住宅(4階建)の2階で、エレベーターがなく手すりも片側だけですが、自力でなんとか昇降できると判断し、4カ月後に杖歩行の状態で家に帰ることができました。帰宅後は、当診のケアマネジャーのもとで、週にデイサービスを2回、訪問介護を1回(入浴など)、友の会送迎による外来受診、またB病院訪問リハビリなどを利用して在宅生活を支えています。

 今年4月、デイサービス利用中に発熱と食事量の低下、左下肢の突っ張りによるADLの低下があると外来に連絡が入り診察しました。点滴をおこない自宅で経過を見ましたが、状態が改善されず、A総合病院に入院しました。ご家族は「どこに入院となっても室蘭診療所は今までの経過をわかっていて、手続きをとってくれるので不安は無い」 と話されました。1カ月後、退院したTさんは、笑顔で「早く帰れてよかったよ」と元気な様子を見せてくれました。歌が好きなTさんは、デイに来るとしっとりとした歌声を聞かせてくれます。体の調子を見ながら夫婦でカラオケに行き、仲間と会うのが一番の楽しみで、これからも続けていきたいと話しています。

 今後も、近隣の医療機関や介護事業所との連携を強めながら、どんな些細な情報でも外来・デイ・訪看・ヘルパー・居宅と共有し、患者さんが安心して生活できる支えとなる診療所でありたいと思います。

(佐藤あや子看護師)
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2008年10月07日

一瞬の笑顔に励まされて
  勤医協西区病院5病棟の実践より

看護現場からの発信
看護現場からの発信 一瞬の笑顔に励まされて
勤医協新聞2008年9月11日号より。


 Aさん(83歳・男性)は今年の始め、診療所から当病棟に入院してこられました。専門的な治療が必要なため他院へ転院して一命を取り留めましたが、終末期の状態で再び当病棟に入院されました。「またよろしくお願いします」と声を掛けると、Aさんは手を合わせ、頭を下げられました。
 
 気管にチューブを入れていても短時間であれば会話も可能でしたが、すぐに呼吸が苦しくなるため、ほとんど筆談でコミュニケーションをとっていました。娘さんは遠方で仕事をしながらも時間をつくりお見舞いに来てくれていました。

 病態が日々悪化する中でも、ご本人からは 「家に帰りたい」 という言葉が聞かれていました。

 「娘さんの負担を減らしながら、何とかAさんの思いに応えられないか」、チームで話し合いを重ねていきました。その結果、短時間でも家に帰ることを娘さんとも確認することができました。
 
 しかしその頃には病態は悪化、痰の量が増えたり、呼吸苦のため寝たり起きたりを繰り返すようになっていました。Aさんの思いに変わりはないか再び尋ねると、「帰りたい」と頷き、その思いはとても強いことが確認できました。

 病状が日々悪くなっていることに不安を感じながらも準備を進め、福祉タクシーに酸素、吸入器、吸痰セット、点滴、万が一の悪化に備えての準備も行い、娘さんと看護師2人が付き添い、1時間かけて自宅まで帰ることができました。

 道中、何度も吸痰しながらも無事に到着することができました。自宅ではAさん専用のベッドが準備され、お孫さんや親戚の方が暖かく迎えてくれました。自宅に着くとAさんは安心されたのか、痰も落ちつき表情も和らいでいました。それまでは不安が強かったのだろうと感じました。

 車椅子に乗ったAさんは、長年手を掛けてきた広い庭をしばらく眺め、1時間ほど過ごしました。言葉は出せないけれど自分の家や庭、家族に囲まれてほんの一瞬、笑顔が見られました。

 病院に戻ったAさんは、数日後静かに息を引き取りました。
 
 最後にAさんの笑顔に接することができて本当によかったと思います。この事例から、病態の進行とともに変化していく患者さんとご家族の思いに寄り添い、チームで看護ケアしていくことの重要性を改めて学びました。これからも一人ひとりの患者さん、そして家族との関わりを大切にする看護をしていきたいと思います。Aさんとご家族に心から感謝致します。

(今村友香)

勤医協新聞2008年9月11日号より
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2008年08月22日

Yさんの在宅療法を支えて

看護現場からの発信
勤医協芦別平和診療所スタッフ
勤医協新聞2008年8月11日号より。1.66MB(03:37)


 芦別平和診療所からは、脳梗塞で「寝たきり」となったYさん(女性=82歳)の在宅療養を支えた看護・介護の実践です。

 糖尿病で当診に通院していたYさんは、4年前に突然、両側の脳梗塞で倒れ、「寝たきり」になりました。その後、意思の疎通も困難になるまでレベルが低下しましたが、「芦別に帰りたい」というYさんの願いを受け止め、お嫁さんは在宅で介護することを決意しました。

 入院先からの紹介で、当診はYさんの往診と訪問看護をすることになりました。全身状態の安定を目標に、訪問看護では、一日2回の血糖測定とインスリン注射、拘縮予防のためのリハビリ、ミキサー食の管理などを行っていきました。また、ヘルパー、デイケア、ショートステイを利用してもらい、お嫁さんの介護負担軽減をはかりました。

 動くものを目で追い、呼びかけに声や表情を変化させ、応じるなど、確かな存在感を発揮していきました。

 回復の兆しをみせたYさんでしたが翌年、誤嚥性肺炎をきっかけに胃ろうを造設。昨年には度々、無呼吸状態に陥るようになり他院に精査入院。そこで肺炎を起こしてしまいました。

 幸い一命はとりとめたYさんでしたが、自発呼吸は不可となり、人工呼吸器を装着しての退院となりました。

 在宅での療養が一段と困難になったことから、療養型の病院に入院の申し込みをしましたが、看護師とともに入院先の病院に出向き、吸痰やカテーテル管理などの手技を獲得し自信がついたお嫁さんは「限界まで在宅でみたい」とYさんを現在も在宅で介護を続けています。

 今年3月、ショートステイの受け入れ先から「医師、看護師の体制が不十分なため、土日の受け入れができなくなった」と申し入れがありました。孫の行事などで週末の利用を望んでいたお嫁さんは、「ショートステイのおかげて介護を頑張る気になれたのに」と不満を口にしていました。

 Yさんやお嫁さんのために何か力になれることはないだろうかと私たちは議論の場を設け、「お嫁さんの介護への熱意はすごい」「どこも医師・看護師不足。同様のケースが今後も発生するのでは」「診療所が最後の砦になっている」など積極的な意見が相次いで出され、入院については可能な限り受け入れることを確認。それにはお嫁さんもとても安心されています。

 当診は、10月に「うたしない訪問看護ステーション」のサテライトとなり、年度内には在宅療養支援診療所も取得する予定です。今後も外来、入院、往診、訪看、居宅の連携を強め、この地で人々が安心して暮せるように、スタッフー同頑張りたいと思います。

(服部史子)
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2008年08月04日

看護現場からの発信 舌がんターミナルの患者さんを在宅へ

看護現場からの発信
看護現場からの発信 舌がんターミナルの患者さんを在宅へ
勤医協新聞2008年7月11日号より。1.57MB(03:27)


 中央病院4東病棟は、整形外科・耳鼻科の急性期病棟です。患者さんの多くは手術を目的として入院してきます。

 整形疾患の回復期の患者さんが大半ですが、耳鼻科疾患でがんの末期を迎える患者さんが同じ部屋で療養しており、急性期病棟であっても、終末期を生きる患者さんが苦痛なく過ごせるよう、患者さんやご家族の願いに寄り沿った看護を目指すことが求められています。

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